くちにする

食べること話すこと

冬至2016

f:id:msjtjk:20170210170742j:plain

私の幼少期は昭和の末だった。
化粧ポーチより手製の巾着袋のほうが身近な日用品だったように思う。
その化粧を入れる小さなものだけでなく、巾着袋は中くらい大きいものと多岐にわたって引き出しに入っていた気がする。
今日は冬至。柚子湯の日。
飲食店を営んでいた我が家では、丸ごとドボンとはせず皮を全部剥ききった白肌で裸の柚子を木綿の巾着袋にいくつも押し込めて入れたものが湯船にぷかぷかと浮いていたものだった。
「これ、何に使っていたキンチャクだっけ…」
見覚えはあるけど、あまりに古びたものだけに首を傾げるような巾着袋。
布物にとって水場は用途をあれこれ巡り巡って行き着いた最後の仕事のようなものなのだ。
他の季節には薬草が入っていたりもした。
使い込んだ木綿は、とてもやわらかく肌触りが好い。そして吸水性も良い。
芳しい柚子の香りを欲張りたくて、ついつい、ぎゅう、と巾着袋を握りつぶしてしまう。
「湯船が汚れるから中身をしぼるな!」
とよく叱られたものだった。
イマドキは柚子の売り場に不織布の袋が置かれ無料で頂ける。しかもこの袋、中身が汚く滲み出ることもない。便利でありがたい時代になったものだ。
でも。
私には、あのヨタヨタのやわらかい巾着袋が懐かしくて愛おしい。


画像は
手抜き柚子茶。
空いたジャム瓶に、柚子の皮とわた、それから氷砂糖をただ詰めただけ。
一晩でこんなになった。
振るとカラカラいう様も、また可愛らしい。