くちにする

食べること話すこと

味だって世代交代

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いつも何をこさえても、たいがい私が求める味ではなく、一口目、二口目は不承なままで食べ進めるのです。でも結局は美味しかったと満足するし、「この系統の味」が何年も続いているのに変えずにいるのは私が学ばない人間だからなのか?と思ったのですが。
普段からの計量しない料理法は、つまり目分量であり自身がヨシとして差配した味付けというわけで。要するに、そのとき体が求めていた配伍だったわけです。
まったく気付かずにいたのですが、これがいわゆる
「ワタシの味」
になっていたのだな、と。
ずっと追い求めていたのは「おふくろ(母)の味」で、それを目標や参考にするのは悪いことではないけれど、世代交代して「ワタシの味」が出来上がって定着することも流れのうちなんだなぁ。と、しみじみ気付いたことで、ナンカチガウ!コレ失敗!なんて思わず「ワタシの味」として深めて大切にしたいと感じたのでした。
ちなみにワタシの味は、やけに「優しい味」なことが多いです。自分としてはちょっと不気味なんですけどね。


画像は
・牛肉と厚揚げの春炒め
春らしくセロリも。なるべく熱がこもらない食材に藻塩と薄っすらオイスターソースで風味付け。